妹家族の住む福岡にて、所用あって滞在中。滞在している間、小学生の甥と姪の宿題を見ている。家庭教師の仕事をしていた以来、ずいぶんと久しぶりに小学生の教科書をみた。
見ていた宿題は算数だけれど、教科書をながめるのが好きなわたしのために、甥が国語の教科書を貸してくれた。
ふと開いたページに、子どもたちに向けて学習への取り組みをうながす言葉が見開きで書いてあった。こまごまと書いてあるそのページには、心がけてもらいたいことが書かれてある。話すとき、聞くとき、話し合うとき、書くとき、ものがたりを読むとき、説明している文章を読むとき。それぞれのときに、何に気をつけるか書いてくれてある。
書くときには「相手と目的を明確にし、書こうとする内容に合わせて取材する」。
その部分をみて、わたしはうなった。相手と目的を明確にすること、わたしは腑に落ちないのだ。書いてみるとき、読んでもらいたい人のイメージは持っているのだけれど、目的がない。読み終えた後に笑ってもらえたらいいなとか、ほんわりして文章綴じてもらえるといいなとか。イメージらしきものはあるけれど、目的と言われるほどの強い決意はないのだ。
さて、困った。
目的は、どうすれば持てるのだろう。イメージしただけの、ことばになれない感覚も目的といえるのだろうか。
目的意識を持とう。そう言われたときも、わたしの頭はフリーズする。行動に移しているなら、目的を持っているはずだろうと思うけれど、よくわからない。 誰かに説明できるほどの目的はないように思う。何のためにするかはわからないけれど、行動してみたいときがある、ただそれだけ。
目的。何のために、そうするのか。何のために、そうしたいのか。
ちょっとだけ意識してみれば、ことばにできるのかもしれない。気をつけて自分を眺めてみようか。
いつも気をつけてみよう。目的を持っているのか、自分を見てみよう。
見開きの教科書のページ、その終わりはこう結ばれていた。
「続けていくうちに、これまで気づかなかった新たな発見があるかもしれませんね」