同じものを見ていても、それぞれの場所でそれぞれのことばがある。
“I love you”を日本語にどう訳すか。「月が綺麗ですね」としておくと英語教師だった夏目漱石が言ったらしいと聞いた時、心が躍った。
日本の感覚に寄り添って、英語での「愛している」の感覚を言葉にしようとたくらんだ成果が、「月が奇麗ですね」!
なんて、なんてささやかな心の動きをあらわしたことばだろうか。
同じ月を見上げて、お互いに「きれいですね」とそのときを分かち合うのは、愛の感覚。愛の共鳴。
今日、流れてきたフィード(Xだった?インスタかも?)を見ていて、もひとつ、直接ではなく間接に意味を伝える表現を知った。
「虹が綺麗ですね」
あなたとつながりたい(あなたと仲よくなりたい)との意味を、この表現に秘めていると聞いた。
なんて、愛らしい感覚!
「虹がきれいですね」と、隣にいる誰かにはなしかけるところからはじまる、新たなご縁。新たなものがたりのはじまりを想像して、にんまりとした。
先だっての旅の中で、ホピの地区(アメリカのネイティブ、ホピの方々が集まるエリア)に到着したころ、ちょうど虹に出くわした。
ホピの言葉で虹をタナカという。そう、ホピのガイドさんに教えてもらった。(その意味するもの、教えてもらうの忘れてた)
音は不思議。タナカと聞いて、たくさんの田中さんが、わたしの頭の中に思い出された。
あの田中さんにも、この景色、見てもらいたいな
田中さん、今はどうされてるかな
さておき。虹を日本語では虹(にじ)と呼び、英語ではrainbow(レインボウ)、ラテン語ではiris(イリス)、そしてホピのことばではタナカ……同じモノなのに、それぞれに違うことばで表現されるとわたし達は知っている。
同じモノであっても、違うことばで表現される。
そのことは、この世にある全てについて、同じだとも知っている。
それなのに、同じ言語を使ってるだけで安心してしまい、同じことばの中に秘めてる意味を、お互いに思い計るのを忘れがちになる。
近しい関係にある人ならば、なおさら。同じことばを使っていると安心してしまい、そこに持たせている意味を探らなくなっていく。
パートナーに対して。親しい友人に対して。
わたし達は相手のことばを知ろうとしてるだろうか。ことばと同時にあふれてる気配を感じようとしてるだろうか。
知ろうとしたもの、感じようとしたものを、相手とまた分かち合ってみようと思えてるだろうか。相手の余白を尊重できてるだろうか。そして、相手を尊重するのと同じように自分の感じ方も大切にできているだろうか。
育ち方も、考えも、感じ方も違う人たちが、ご縁あって近づいているのだから。もうちと、やわらかにお互いを知りたいと願ってもいいのかもしれない。
相手が何を感じてるか
相手がどう感じていそうか
わかろうとしてみる
自分が何を感じてるか、伝えてみる。
そのときに気をつけたいのは、相手には相手の感じ方があるってこと。
(自分の感じ方とは違うセンサーで見てる世界があるってこと)
同時に、自分が感じていることも確かにあるってこと。
自分の感じている世界も、相手の感じる世界も。そのどちらもが存在している。そのうえで、相手の感じ方を受け止める余白を、自分にもたせる。相手の余白も尊重する。
そうすると、お互いの感じ方を受け止めて、やわらかにいられる。
それぞれの場所で、それぞれのことば
それぞれの感じ方がある。
相手の感じ方も、自分の感じ方も。どちらも「ある」と覚えておこう。「ある」ものは、ある。ただ、それだけ。そこによいも悪いもなく、ただ存在する。
それでは、またね
田村洋子でした
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