Story

ものの気配を感じる力を回復し、ごきげんにほんとの自分を生きるための視点や体験をお届けしている、わたし(田村洋子)にとっての、はじまりの物語です。

生き方の軌跡

気配は本物、気配は答え。気配を感じて自分を生きる。

”本物” の持つ、気配とことばと

本物を知っていると、本物を感じ取れる。という考えだった祖父母の方針で、自然界に近いもの、古くから伝わるものを大切にするよう育てられた。本物のもつ、まっすぐな気配を知った。

すぐにことばを覚えたからか、文字が読めるかどうかもわからない2歳の頃から、同じ団地に住む子どもたちに読み聞かせをして来た。書いてあることだけでなく、自分の知っていることも混ぜながら、毎回、あたらしいはなしを作りながらはなしをした。

ひとつの、同じはなしなのに、人それぞれのたくさんのはなしに変わってゆくところがおもしろかった。見えない何かが、自分にはなしかけてくるように思う瞬間が好きだった。

周りの子どもも大人たちも、見えてない、気づいていない何かとはなせることは、わたしにとって特別な感じ。周りよりも一足お先に大人になれた気がしてたのしかった。

もっと、ものの気配に近づいて

そのうち、父が亡くなり祖父母のいる地域へ引っ越した。
そこは以前住んでいた街と比べると田舎で自然も豊かな場所。祈りやまじないが日常にまぎれていて、景色の中をお遍路さんが通る地域。

皮膚をなでる感覚、耳に伝わる聞こえない音、見えないけれど確かにある境目、揺れ動く薄い影。
世界はいつもおしゃべりで、たくさんのことを伝えてくる。その全ての気配が、面白かった。

その気配たちの伝えることは、それほど大きく役立つわけではない。

雨の降りはじめるおおよその時間がわかる。
山菜やら花のぐあいが山の斜面のにおいで感じ取れる。
木を切るならば木の落ちる向き、岩を割るなら岩の目がみえる。

……それくらいの、ささやかな何か。
役立つとか役立たないとか、そういうのとは無縁で日常に、当たり前にある感覚。
(手を使うときに、手が役立つとか役立たないとか考えずに使うでしょう。それと同じ)

気配を感じてそれをおおっぴらに語るわたしは、気持ちの悪いことをはなす子どもだと思われていた。

今日、あったこと、見たものを大人たちに話しても、たいていは空想か、いつか読んだ、絵本のはなしだと思われた。ものがたりを創るのが好きな子だとされた。

「ヒト」の世界で迷う

わたしには見えるけど、周りには見えない。わたしには感じられるものが、周りは感じられない。
わかって欲しくてはなすけれど、周りに伝わることは少なくて。泣きたくないのに涙が勝手に湧いてくる。

嘘つきで、気を引きたがりで……でも、とっても頭のいい、泣き虫の変り者。というのが、わたしへの評。

周りとどこか違ってるから変わり者。
うまく混じれない自分が、出来損ないの人形のように思えた。

周りから見ておかしなわたしは、間違ってここにいるんじゃないかと思った。
帰るべき場所が、どこかにあるかもしれないと思ったから、居場所を探した。
その居場所は、今はもうない場所かもしれないから、消えた大陸や消えた街の話を探した。
生まれた時間を間違ったかもしれないから、歴史を調べた。神話や言い伝えに興味を持った。

言い伝えや古いはなしを教えてくれるじいちゃんばあちゃんや先生と呼ばれてた人たちは、ほんとうのことを話していた。気配たちを知っていた。

古いころには気配たちと一緒に人も生きて来た?
(今はもう忘れられてしまってるけど)

山であった人たちも、ほんとうを知る人が多かった。
自然の世界とともに生きていれば気配にもっと近くなれる?

ほんものやほんとうは、気配のなかに現れる。常識では語れない気配たちを確かに感じてきたから、各地にもののけや妖怪や不思議の話しは残ってる。
今も、不思議は生きている。見えないものを、なんとかして伝えあいたいから残ってるのがもののけたち。

もののけは、自然界の気配。人の目線では伝えにくい不思議なモノの存在感。モノのもつエネルギーを表すことば。

そう思えば、エネルギーを発する全てのものがもののけで、人ももののけなんじゃないだろうか。
だって、ヒトはお互いをわかりあいたいけど、それを伝えにくい不思議な存在。

気配は嘘をつかないし、嘘をつけない。
人の気配も、嘘をつけないけれど、人はことばで思考で自分にウソをつく。

本物ではないことばを口にし、本物でない動きをする。
理解できないものを全て「嘘」にする。
それは、ほんとに、ほんとうなのか。

ヒトのことばに翻訳して生きる。“普通”を追い求めた日々

見えないものを感じたり、見えない何かとはなしをしようとするのは、普通ではない。
気配についてはなしをするのは気持ち悪いものだと、母だけでなく周りからも言われはじめた。
まるでおとぎ話の魔女のようだとも嗤われた。
(このころ、魔女狩りを知って、いつか自分も狩られるんじゃないかと本気で心配してた)

だから、周りが知っている「子どもらしいことば」を使って、普通に話そうと決めたのは小学生になる直前。

他人にはなすためのことばをみつけて、周りに聞いてもらうためのことばを探り、自分のことばを話さなくなった。
全ての基準を、周りにまかせた。
自分の感じた全てを翻訳して、周りに伝えようとした。

なのに、普通がわからない。
何を基準に翻訳したらいいか、わからなくなった。

相変わらず、見えない何かからの気配は届く。
誰とはなせば、わたしも話ができるのかがわからなくなった。

子どもだから、周りから相手にしてもらえないんだろうか。
わたしは、ここにいてはいけない存在なのかもしれないと思い詰めた。

わたしも、どこかへ帰りたい。
帰る場所はどこなんだろう。

感じている気配たちをことばに変えるための知恵が、どこかにあるのかもしれない。

本を読めば、その知恵がつくかな。普通がわかるかな。
普通になれば、はなしをきいてもらえるかな。

わたしの帰る場所が、どこにあるのか。

たくさん勉強したり調べたりしたら、わかるのかな。

考えたり、調べたりするうちに、「子どもらしさ」はさらに消えていった。
気持ち悪いことをはなす変わりものというイメージがまわりに伝わった。

そんなときに知ったのが、心理学や西洋占星術。

人が、人をよりよく知るために発達したのが心理学。
生まれた日の宇宙のようすから、自分のことをよりよく知ろうとするのが西洋占星術。

なぁんだ。人間をもっとわかりたいと思うのは、わたしだけじゃないんだ。

人間がお互いにわかりあいたいのは、自分をわかってもらいたいからかもしれない。

ことばと、気配と、本物と

自分が思っていること感じていること、そのままを伝えるとヒトの世界では「嘘」にされる。自分にとってのほんものじゃなくなる。

ことばをもっていなくて、ことばになれない気配たちだけが、ほんとうを伝えてくれた。

気配はほんもの。嘘をつけない。そして、その気配は、だれもが感じ取れているはずなんだけれども、世間の普通や常識に翻訳する中でなかったことにされていく。

それでも、気配たちを感じることでわかることも多い。

野外調査の時間、はじめましての人が多い説明会。
気配たちを読むことができれば、ことばになる前の何かをヒトの役に立てるタイミングが感じ取れる。

目の前に見えているヒトの世界と、その奥で動いているほんとうの気配。
その両方のずれをとらえられれば、人間の役に立てる。うまくいくとわかった。
気配を感じて、それを暮らしに生かすすべを覚えた。

魔女のようだと周りに言われるなら、わたしは魔女かもしれない。
魔女の世界なら居場所があるかもしれない。

現代の科学はそのむかし、錬金術やらまじないから洗練されていったものも多いという。薬学なんて、おばあちゃんの知恵袋から出たんだろう。

占星術は魔女のたしなみ。科学としての天文学とルーツを同じくするらしい。
魔女は魔女であることを隠して生き延びたとも聞く。

だったら、わたしは科学者になってやろう。今のことばを使える魔女でいよう。

見えないものを、見える形に

見えないものを見える形にしたい。
それが、わたしのベースにある思い。

見える形にできたなら、人もヒトという地球の生きもののひとつとして、この世界を生きられるんじゃないかな。人だけが偉いんじゃなくて、気配と気配とのお互いさまで、この地球を生きていく。

見えないものや自分にはわからないものを、人は「なかったこと」にしやすい。
確かにあると感じていても、見えないというだけで不安になるし、それを見なくても “それなり” には過ごせるから。

見えないものであっても、見える形にすれば
これまでも「在った」と気づく。よく見ようとする意欲が戻る。

あると気づけば、見えてくる。
気配をとおして感じられる世界にまで、自分が膨らむ。
見えないものの気配や声が届く。

呼吸が深く楽になり、ほんとうの自分のリズムがわかりはじめる。
ごきげんが続きやすくなり、地球の生きもののひとつとして、宇宙のリズムで生きていける。

そうしたら、自分もごきげん、世界もごきげん。
もっと地球で生きてるって実感もわいてくる。

自然と人間との「間」で

就職を決めるときも、見えないものを見える形にしたいという願いから離れることはできず、建設環境系の技術者になった。それは自然の持ってる気配と人との折り合いを探るための知恵をつかう者。気配を人のことばに翻訳する役割。

自然界の気配や様子、人の暮らす景色や日常を、科学的統計的な手法で人に伝えることを仕事にしてきた。
(環境影響評価に関われるって、天職じゃないかとも思った)

道路を広げたりトンネルを掘ったり、山が崩れるのを防いだりするときに、どんな影響が人の住むエリアとその周囲の自然界とに出てきそうか。

防災や減災のための環境調査などを通じ、ことばを話せない自然の”ことば”を科学的統計的に人のことばへ置き換え、譲り合える境目を探した。

人と気配との境目で役立つことのできることが嬉しかった。

大人になっても、ヒトに迷う。そして自分を生きると決めた。

就職できるほどの大人になっても、相手に不快感を感じさせずに済むには、どうすればよいのかはわからないまま。ちゃんとした大人になりたかったのに、なかなかなれない。

だから、誰かの真似をすればいいと思った。
世間で成功者とされる女性を数人、選んで、その平均像を自分の理想とし、それを真似た。真似るうちに自分が何を選びたいか、わからなくなった。

仕事もそれなりに順調なんだけれども、女性であることは思いのほか邪魔だった。

女性としての役割、技術者としての役割の両方を突き詰めると、男性の2倍動いている気分がした。

時間に追われるうちに、気配たちが遠のいた。気配を感じることをあきらめた。

気配を自分から切り離したら、そのうちに原因のわからないめまいや頭の割れるような痛みで倒れた。何度も倒れた。いつの間にか、うつ状態になっていった。
うつ病になった。

うつ病になったのと前後して、感覚過敏にもおちいった。

世界がパチンコ屋さんの中みたい!

大音量の声とたくさんの気配が押し寄せてきて、めまいがした。
電気のとおる音やWi-Fiのゆれる気配が皮膚を刺すようになった。しんどい。

大音量で押し寄せていた街中の気配たちの声を消したら、世界から気配が消えた。

気配のない世界は味気なかった。
感触が遠くなり、味もない、時間もない、生きてる実感も消えた。
身体の感覚が遠くなり、自分の感情もわからなくなった。

海の底で砂に閉じこめられて、出られなくなった気がした。知らないうちに、わたし一人だけが月に置き去りにされて、ガラス管の中だけで生きる人形として地球を生きてる気分になった。

人は、自分自身が感じていること思っていることを、外に出さないように。と我慢しすぎると、肉体的に強制停止されるらしい。

その強制停止は、魂の反乱もしくは叫び。

もっと「自分」に気づいて欲しい!
もっと「自分」を生きて欲しい!

そんな叫び声。

そう思うと、人は日常に感じているモノコトを、ちゃんとは意識していないのかもしれない。自動操縦みたいに、感覚を使って何かを知って、選んで、行動してるのに、それに気づいていない。

全体のなかの一部として、そこに受け入れてもらうために、周りに配慮し過ぎて「感じている」自分をなかったことにしているかもしれない。周りから、変り者やら宇宙人・天狗やらにされてきた人は、特に。

変わり者だといわれても、居場所がないように感じても。
それでも、この世界で生きたいと願って、感じることを封印して、普通の理想を追いかける。

だから、感覚を閉ざしたり、なかったことにしたりで
自分が倒れてしまったり、理想がつまらなくなったりするんだろう。

自分のものではない理想はもういらない。
自分のままで、生きてもいいよね。

それなのに、自分で自分がわからない。

そこから毎日が、自分と自分とで、はなしをする練習。

自分を生きる。まいにち、自分そのものを生きていく。
小さなことから選んでみる、そして小さく喜ぶ。不安になりながら、自分を掘りだす。

感覚を取り戻し、魂を震わせる

うつ病にかかってよかったなと思うのは、自分の感覚を取り戻そうと思えたこと。
これまで以上に、身体の感覚へ目を向けるようになり、心でも身体でも「感じる」ことを大事にしたいと思えるようになった。

内にいる自分と、これまで以上にはなしをするようにもなった。
自分自身に何が起きてるのか。自動操縦するみたいに、いつの間にか過ぎていたことを観察するようになった。

じぶんのことを、自分自身がもっと知りたいと思うようになった。

自分は、どこに消えてたんだろう。
もう、自分じゃない生き方は辞めよう。

雨の匂いがわかるくらい、敏感なセンサーをもっている自分も、それでいい。
元気で自然に、じぶんを生きて行こう。

感覚がもどり、感じるわたしが世界とはなしはじめたら、気配たちも戻って来た。気分が軽くなり、心も軽くなった。

世界をおもしろくおもえるようになった!

遊園地に行ったみたいに、地球を遊ぶ

地球は感情を味わうための遊園地。

だったら、もっと地球をあそぶのがいいってもんでしょう。

地球にいるからこその感情をおもしろがり、地球にいるからこそ今ここにある身体を動かして、地球で会える全てのものと、あそぶ。たのしむ。

そうすることが、自分の魂がよろこんで、この宇宙も地球もたのしくなれることなんじゃないかな。

だから、はなうたを歌いながら、自然に笑って生きて行こう。

こんな風にポジティブな気分もネガティブな気分も、感じられるのって地球だけらしいよ?

この地球に生まれて、感情を感じてみたいモノたちが宇宙にはごまんといるらしいとも聞く。
だったら、せっかくの地球を楽しまなきゃ!

この地球に生きているのなら、その気分のアップダウンもたのしみたくてやってきたはず。
深刻に悩んで重い感じになるのは、これまで結構やってきた。もういいや。

だから、これからはもっと地球をあそんでみようか。
ヒトである自分をたのしみたいし、人と人とのおつきあいも、人と自然界とのおつきあいもたのしみ。

地球をあそぼう。

きれいな景色によろこんで、「きれいだね」と言いあう誰かと過ごしながら、いろんな気分を感じてる自分がいるってことを、もっとおもしろがっていこう。

全力で、地球をあそぶのだ。

そして、「たのしいね、おもしろいね」と言いあえる人たちが増えたなら、なおうれし。

人も、自然界のなかにいる生きものの1種だから、自然界とおなじように宇宙からの影響をうけてきた。だけど宇宙は大きすぎて日常には意識しづらい。それでも、感覚のなかで原初から、宇宙を、わたしたちは知っているし、感じることのなかに宇宙のリズムを含んでいる。

ヒトが人として賢くなる、その前の。原始から持ってきた「感じる」こと。
それをもっと今の日常にも使ってゆきたい。

感覚を開くことは、自分にとっての、ほんとの自信を知ること。自分自身の才能や可能性を最大限に引き出すための手法。

いにしえからの感覚も使いこなして、今の自分の持っているものも自在に使って、今の自分を生きていける人が増えると、もっとおもしろく世界を生きて行ける。本音の自分、たましいから生きてた自分と出会いなおせる。

そうすることで、自分を作ってる魂まるごとをたのしんで生きられるようになる。地球をもっとたのしんでゆける。じぶんにとってより豊かでごきげんな道が目の前に現れる

本音の自分のまま、魂を震わせる。心おどる。そんな、気軽でごきげんな日常を!

田村 洋子

気配を読み、未来のヒントをつむぐ人

「どう生きる?」と考えるより、「今、どんな感じ?」と感じてみる。
感じることで、自分のリズムが見えてくる。

問いを持ち、気配を感じて、未来への感覚を開く。
感じたことを言葉にし、確信へと育てるカウンセラー(お告げ師)
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